自費出版うらおもて(その5)

 〔『うらおもて』総括〕

今回の出版で自費出版に関する知識を得た。何も知らなかっただけに、不満や疑問点は多く残っているが、良かったと思うこともあった。シリーズ最終回では、それらについて整理をし、今後の展望について語りたい。

◎不満な点
・見積書も作成せず、契約を急がせた。
・契約後、二ヶ月以上も連絡がなかった。
・編集の校正が、ほとんど成されなかった。
・カバーデザインは持込みだったが、その分の減額がなか
 った。(その場合の説明も最初になかった。)
・販促用の100冊の配布先を全く教えてもらえなかっ
 た。(本当に100冊も使っているのか?)
・流通分800冊の販売状況を、出版から三ヶ月半も教え
 てもらえなかった。
・内容にかかわらず、宣伝に大金を出した人だけを新鋭作
 家と呼び、その人たちの本だけを大々的に宣伝する。
 (客を公平に扱うためには営利目的の広告はやめるべき
 では?)
・私の本は図書館協会から選定図書として選ばれたが、文
 芸社のサイトでは、選定図書のコーナーに紹介されるの
 に三ヶ月もかかった。
・書店陳列期間の一ヶ月が過ぎれば、どんな形で本の販売
 をするのかと訊くと、自社サイトでという曖昧な答えだ
 った。(しかし、サイトでは文芸社が売りたい本しか宣
 伝されていない)
・神戸新聞社のサイトで本の紹介をするコーナーを見つけ
 たが、出版社からの推薦ということだったので担当のT
 さんに二度頼んだが、返事だけで未だ動いてくれない。

などなど、いくらでもあるが、これくらいにしておいて、良かった点についても述べておこう。

◎満足できた点
・図書館協会から選定図書に選ばれた。
・地域の書店へアプローチをし、配本されていた。
・全国300店ほどの書店に並んだ。
・チラシや本の郵送が迅速だった。
・編集のAさんが、いい作品に出会えて良かったと心から
 云ってくれた。
・三ヶ月半で75%の本が売れた。(これは文芸社の力だ
 けではないが)

さて、迷った上で、書き手側のことにも触れておくことにする。このことを語るには、よほど慎重にしなければならないが、ここで云わねば右近ではない。云いたいことを自由に云うのが右近のはずである。

いまや総クリエイター時代とも云われる世の中である。誰もが表現者であるという。それは結構なことであるが、首を傾げたくなることがいくつかある。それらを一つ一つ論(あげつら)うと生意気だと顰蹙を買うかもしれないが、私と同じシロウト作家さんと呼ばれる人たちに、これだけは云っておきたい。

苟(いや)しくも本を出すのである。まず中味が大切であろう。それに読むに堪えうる文も書かなければなるまい。“著者”さんたちは、日頃から文章の向上を心がけておられるであろうか。文を愛しておられるであろうか。編集者を大いにてこずらせながら、「作家」とドッコイショされて有頂天になる一部の人々は本物の作家気どりになってはおられまいか。しかし内容の向上は図らねばなるまいが、私たちは所詮、自費出版という道楽を楽しむシロウトなのである。そのことをお忘れなきように。もし売りたい、有名になりたいという野心をお持ちの貴方は、まともな賞を狙うしかありませぬ。それにはプロに匹敵する力を育てなければなりませぬ。お金を使ってではありませぬ。それより私のようにシロウトはシロウトと自覚した上で、自分なりに質の向上を目ざして自費出版を楽しみませぬか。さあ、方々から「なんだ、お前は。引っ込め〜!」という声が聞こえてくる。もう黙るといたそう。おくちチャック。

それでは今後も私が出版をする場合、どんな形を望むであろうか。女性たちに切望されている「恋愛詩集」、その他「さみだれ詩集」や「愛別離苦」の詩も本にしたいと思っている。具体的なことはまだ考えていないが、詩集の出版というのは自己満足の最たるものである。したがって小部数を刷り、私の自己満足を共に分かち合ってくださる“右近フリーク”を自認する少数の人々にだけ行き渡る数を本にすればよい。小部数出版で、装丁や紙質にも凝ると単価が上るが、かけがえのない一冊となれば素晴らしいことである。それは詩集出版の醍醐味というものである。

小説の方は、まだ本にするほどのものがない。作品もないのにあれこれ論ずるのは“絵に描いた餅”である。書き溜めてからの話であるが、中・短編集を生涯で一冊くらいは出したいものだと考えている。長編は書くのに時間のかかることであり、書こうと思う題材があっても熟すのを待つ期間が必要である。生きているうちに、もう一編書けるかどうかも今はわからない。何でもいいから出すのではなく、納得のいくものでなければ自作を本にしようとは思わない。シロウトでも、である。それは私のこだわりであって、今後もその考えは変わらない。

さんざん文句を云ってきたが、初めての自費出版を経験し、私は多くのものを得た。自分の書いたものが一冊の本となったことや、そのことをHiroshiに報告できたことがまず嬉しかった。次に、ご承知のように、書店にその本が並んだこと、平積み、面陳列にされたこと、全国の図書館にも並べられつつあることである。旧知の人たち、現在お付き合いのある人たち、サイトを通して知り合った人たち、私からは見えない人たちのお力で、本はじわじわと世の中に浸透しているだろうことは、ありがたいことである。念願の自分の本を出版し、ささやかな喜びに満ちている善良な人々と私は同じ幸せな気持ちを味わっている。

一月半ばのTさんからの報告では、流通部数800部のうち、575部が売れたそうである。著者分の100冊は約半数をいろいろな人々に謹呈し、半数は知人・友人が買ってくれた。あれから約一ヶ月、文芸社の在庫からまた少し売れたと思われる。Tさんによると、完売し、さらに500部が売れると見込めば増刷になるとのことだ。それは文芸社の採算に合うと判断されたらの話である。どこまでも私の意思とは無関係なのだ。先日、800部の印税が入金された。初版は本体の一部につき2%という金額である。源泉徴収が引かれたあとの額は、たったの21,600円である。いやはや、これが自費出版という現実なのである。しかし額はともかく、印税というものが初めてもらえたことが、私はたいそう嬉しかったりするのである。

ともあれ現在までに700人近い人に読まれ、図書館でもいろいろな人が借りて読んでくださっている。そのことは大きな喜びである。どこかの誰かのように、残部数を自分が買い占めたり、組織の力で購買力を強めたりと、重版を早めることは不可能ではない。だが、そんなことをして何になろうか。それよりも、どこかの誰かが胸をときめかせて本を買ってくださり、一冊ずつ売れて読まれることこそ私の喜びなのである。欲しいと思った人が買ってくださるのが一番嬉しいことなのである。細く長く地味でよいのだ。シロウト本のロングセラーなんかになれたら、とってもステキではないか。シロウトはシロウトなりに努力を重ねて切磋琢磨し、私は“シロウトらしく”を肝に銘じて自費出版をし、これからも道楽をして遊ぶとしようか。

ところで、この「水無月右近のひとり言」であるが、今や道行考のメインコンテンツになっているようである。これを本にするのも面白いかもしれない。そんなことを考えながら、今宵も焼酎を楽しむ右近である。心地よき哉。
                       (完)

2006年2月10日  

         
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