一病息災〈百闢I長命術〉

「無病息災」という言葉がある。まったく病気をせず健康であり、災害がなく無事なことである。「息」は止めるという意味で「息災」は仏の力で災を止めることである。この四字熟語は寺社での祈願ではレギュラー選手としてつとに有名であるが、これに対して「一病息災」という言葉もある。持病がひとつくらいある方が無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きできるという意味である。こちらの方は私の使用している四字熟語辞典にはなく、後世になってできた造語であるようだ。

近頃よく私は寝込んでいるが、読書ができる状態であれば寝床で本を読むかボンヤリとテレビの画面をながめている。このたびの臥床(がしょう)では、急成期の痛みが去ったあと、内田百閧フ「一病息災」(中公文庫:十七編収録)という文庫本を読んでいた。そのあまりの面白さに声をたてて笑うこと屡々(しばしば)であった。私は以前より百閭Zンセイのファンであるが、この本を読んでさらに傾倒した次第である。

文庫本のタイトルにもなっているこの短編は「私は明けて五十三歳になった」という文で始まる。(1942年の作と思われる)百閧フ父は四十五歳でなくなったことにふれ、既に八つ年上になっていることに不思議な気持を感じたとして感慨深げである。父親が亡くなった年令に近づいた頃には、周囲からも酒や不養生をたしなめられたが改まらないままに「父の歳」になった。勤務先の法政大学の騒動で学校教師をやめて「穴籠り」をするが、「何年たっても生きてゐた」のである。いつしか五十を越して彼は気分がせいせいする。顔色がよくなったと人にも云われた。矍鑠(かくしゃく)という言葉に趣きがあるとも考えはじめる。

「養生」を彼はいつも念頭に置いていると云い、不養生の多くは「口腹の慾」であると考える。面倒なことを考えるよりは何も食べないのが一番簡単な養生であるとし、何も食べないという方針を立てる。また、四十代半ばの頃には寝不足が原因で体調が悪かったのだと振り返る。それを改め夏期には十時間、冬期には十二時間を眠ることにし、それを守り続けている。忙しい事があっても無理に起きることは避け、自分ひとりで目が覚めなければ決して起きない。「之は懶惰(らんだ〔なまけること〕)でもなく我儘でもなく厳重に遵守する私の保健法の一つなのである」とのたまう。これほどは眠らないが、私もこれに近いものがある。

食べる物を食べないように心がけ、一生懸命に寝たあと、人に会うと百閭Zンセイは血色がいいとか健康そうだと云われて喜ぶ。するとセンセイ、こんどは洋服や鬚や髪が気になる。文章指導を依頼されて日本郵船へ出向くのにそれらを気にし、「白いカラ(カラー〔衿〕)の上に無精鬚がもじゃもじゃ生えてゐるのは目立ってよくない。頭の髪を箒(ほうき)の様にして置くのも見苦しい」と思うのである。それで鬚を剃り、髪結床(かみゆいとこ〔床屋〕)で頭を分けてもらうのだ。物を食べず、寝くたびれるまで寝て、髪を分けて歩いていると身体の調子がすこぶるいいのだそうである。

その歳には「禿げるたちでなく、白髪になる側であるらしい」と自己確認していたセンセイは、硬い髪にチックを塗って分けてもらう。チックで黒光りして白髪が目立たなくなった頭で「今はえらくなってゐる昔の学生」に会うと、先生は綺麗になりましたねと云われ、それが歳を取った証拠であると、到頭「ぢぢい」になりましたねと云われる。自分でもそうだと納得するが、その年の暮れから正月にかけて、鬚も髪もすぐにぼうぼうとなる。そうなってみるとその方が面倒でなく「野性が目覚めた心地」になり、出かける折には鬚は剃るとして、頭の髪はもうその儘にしようと考える。それを傍から伜(せがれ)が「それはいかんでせう」とたしなめる。

この小編の半分を過ぎ、やっとセンセイは持病があると告白する。しかし「一病息災」の素晴しさについて力説するのが先である。
「病気と云ふものは、あの世へ行く道筋であり、或は近道でもある。無病息災の人人はその道に踏み迷ひ、そつちへは行かないのか知らと考へてゐる内に有病の君子と同じ方へ動いてゐる事に変りはない。どうせいやな所へ同じ様に行きつくものなら、寧ろその道筋だけでも踏み馴らした方がよくはないか。無病息災は字面の上でも重複冗語(ちょうふくじょうご〔トートロジー。むだな言葉が重複していること〕)に見える。一病息災で結構であるからその一病を大切にし、一病の道の果てを目の届く限り眺める様に心掛けたい」

このあと突発的な事故や病気であの世へ渡ることもあると付け加え、やっとセンセイは「一病」を披露してくれる。それは「発作性心臓収縮異常疾速症」(パロクシスマーレ・タヒカルヂー)というらしい。最初の発病は二十八、九の歳で、以来この病気に悩まされているのだという。一分間二百前後の脈搏が長い時は三十六時間半も続く発作に苦しんだが、五十を越えてそれはなくなり、代わって「結滞脈」に悩まされる。(不整脈や頻脈のことであろうか)これは一週間、半月、一ヶ月と続くことがあるらしい。医者の薬をのむと治まるが、その薬の副作用で集中力が途切れるのか、会話や文がうまくいかない。それは副作用以外にも、あまりに脈に気を取られて思考力が落ちるせいだとしている。

「この頃は一病を深く蔵して息災である」と「いそぢの翁」になった百閧ヘ云う。治まっては現れる発作との付き合いは二十五年になり、変わることなく内側からセンセイを励ましているのだと云う。「行く所まで行く事が出来たら本懐である」とし、「病間をねらって取り急ぎ本稿を草し、おもむろに次の訪れを待つ事にする」と結んでいる。

本人が病気だ病気だと云うので否定することはできないが、「心臓神経症」であったらしい百閧フ症状は、多分に自身の神経質な性格に起因すると思われる。自意識過剰な若い頃の方が症状がひどかったことからもそれが伺える。このほか百閧ヘ子どもの頃からの喘息持ちだと他の作品で書いている。しかし自ら喘息持ちであった吉行淳之介は、巻末に百閧ェ喘息であることはまったく知らなかったと書き、それは大人になるにつれ改善されたのだろうと推測している。

心臓神経症も喘息も私は持たないので、突如としてやってくる嵐のような発作に苦しめられることがない。したがってその辛さは想像の域を越えない。快癒したであろうと思われる喘息を制し、百閧牛耳っていた心臓神経症を心の友とするが、その病気は命とりにはならない。病気だ病気だと大騒ぎする割には、大方は丈夫な人であったように思われる。それはまるで大袈裟に云いふらして周りの気を引く子どものようである。結局、内田百閧ヘ老衰のために八十二歳で大往生を遂げるのだ。これは目出度いと云ってよいのではなかろうか。

たった9ページしかないこの小品が、これほど楽しめるのは私も「一病」を持っているからである。その私の相棒は、近頃たびたびやってきて困っている。百閧フそれとは異なり、その相棒はかならず三日間ほど居すわり続けると決まっている。人の数倍も菌に感染しやすいため、すぐに私は上気道に炎症を起こす。頭痛をはじめ様々な症状に苦しめられるが、不思議なことに三日で治るのである。それを私は“三日頭痛”と名付け、そのことについて書くつもりが、百閭Zンセイのことばかり書いてしまった。私の「一病」は、またの機会に書くとしよう。

今回の三日頭痛もほぼ快復した。今日は読み書きができる喜び、ラジオ体操ができる喜び、コーヒーがおいしいと感じる喜びを満喫した。なんでもないことが喜びとなるのは「一病」を持してこそのことである。私も「病間をねらって取り急ぎ本稿を草し、おもむろに次の訪れを待つ事にする」。

百閭Zンセイと似たような年になってきた。髪も伸び放題で長めのモップのようになっており、娘に「それはいかんでせう」とたしなめられそうである。しかし私は髪結床は大嫌いである。どれ明日あたり自分で切るとしようか。

蛙が賑やかな水無月の夜、体調が戻って嬉しい夜である。


(注)結滞……脈搏が心臓の病変・衰弱のために不規則となったり、
       一搏動が脱落したりすること)


2005年6月3日 

         
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