書いたものを遺す是非

「口の軽い人」というのがいる。ベラベラとよく喋り、云ってはならないことまで云ってしまう人のことである。そんな人は一般的に信用できない人と見なされる。一方、「口の重い人」というのも居る。人前であまり物を云おうとしない人である。こちらは軽いよりはいいかもしれないが、あまりに口数が少ないことも人に敬遠されることがある。何でもそうだが口の軽さや重さにおいても「ほどほど」が良いということであろうか。

それらは喋り言葉においてのことである。では、言葉を書いて文字にする際にはどうであろう。口の軽い人は書く方でも軽くて何でもスラスラと書き、重い人はほとんど何も書かないのだろうか。あるいは口は軽いが書いて残すとなると筆は重く、書くことには慎重になる人もいるかもしれない。また、口は重いと見られているけれど、書いてなら理路整然と考えを述べる人も居ることは大いに考えられることである。これについては統計でもとると面白い結果が出るのではないかと興味深い。

前置きが長くなってしまったが、私は近頃このようなことを考えている。

(1)言葉の軽さや重さは、それを発する人の性格や考え方が大きく関係する。(軽い言葉を吐く人は軽く、重い言葉を吐く人は重い人とはかぎらず、軽い言葉を重く吐く人も、重い言葉を軽く吐く人も居るのであろうが、日頃から軽く言葉を吐く人の言葉は、やはり軽い)

(2)言葉は発せられた声で耳から聞くのと、文字で目から(点字の場合は指から)得るのとでは、情報の信憑性は格段に異なる。(しかし書かれた言葉が偽りであれば、その嘘は消しようがない。また、書かれた言葉は遺されるので、良くも悪くもいつまでも影響を与えつづけるのだ)

このHP立ち上げのいきさつは、旧「ひとり言」で何度か述べてきたので重複を避けたい。しかし読者の皆さんの中には、そんなことくらいでなぜ“うつ”になるのかと不審に思った方もおられよう。あるいは、男なんてそんなものだ、どこにでもある話じゃないかと思うムキもおありかと思う。夫の浮気、多額の借金。それらは特に珍しいことではない。単にそれだけであれば、私とてあのようにひどいうつ病にならなかった。頭の切り換えは早い方である。私はPositiveな考え方で進む人間であった。

それではなぜ私は立ち直るのに二年の歳月を要したのか。それは手紙の存在である。彼が四年間、現(うつつ)を抜かした女へ宛てた「別れの手紙」である。たまたま出てきて目にふれたその手紙に打たれた文字に私は絶句した。読みながら、わなわなと震えてしまった。なんとそれは、妻は狂人であるうえ病気ももってしまったので、見捨てられないというものであった。そればかりか長年連れ添った夫婦など愛情もなく、同情だけで成り立っている等等。それは別れるための口実とはいえ、私をそのように表現する彼の言葉はあまりにひどく、立ち直れないと思うほどの衝撃を与えた。

人間は、人間を、人生の相棒として共に歩んできた妻を、ここまで貶(おとし)めることができるものなのであろうか。不貞や借金の事実よりも、その手紙の文面が与えた打撃の大きさに、私は命を絶つことさえ考えた日もあった。それから二年の間、頭の中には彼が綴った信じがたい言葉がグルグルと廻り、時として噴き上げてくる怒りに苦しんだ。それから無言へと移り、私たちは言葉を交すことがなくなってしまったのだ。関係の崩壊は、言葉の崩壊であった。それだけでなく夫とか夫婦といった存在に失望し、決定的に私を男性不信にもさせてしまったのだった。

最後の十年を跳び越えて関係がうまくいっていた頃に遡れば、私たちは大いに語り合う関係であったことを思い出す。政治、経済、世界状勢から旅行、料理、ファッションにいたるまで、ビールを飲みながら何でもかんでも話して楽しかった。広く浅くであるが、文学以外のひととおりの分野を彼はカバーでき、どんな私の質問にも答えてくれるところは頼もしく、密かに尊敬もしていた。心地いい関係であるならば、言葉の量は多ければ多いほど楽しく、仲睦まじくなるものだ。

しかし、ひとたび関係が崩れると、言葉は空回りをするばかりである。出せば出すほど悪い方へと回転する。洪水のごとく謝罪や弁明の言葉を溢れさせたとて、それが嘘で固められたものであれば耳を傾ける気にはならない。表情や身ぶりに涙も添え、演出効果を高めたとて、誠意のない言葉は宙に浮くばかりである。迫真の演技には何度もだまされた。彼という男は泣きの涙で私に許させてしまうことには天賦の才があった。彼は名うての役者になり得たかもしれない。

そんな彼に私は言葉よりも態度で示して欲しいと望んだ。言葉は人を救うという信念を私は持っていたが、あまりに軽い言葉を駆使しすぎて実意が伴わなかった相手に対し、何の言葉も求めなかった。むしろ沈黙して自己と対話をしてほしいと考えた。沈思黙考である。彼はこれまで、そのようなことをしたことがなかったように思われたが、書物を読んだり、考えたことを書いてみたりして、静かに過去をふり返って今後は実直に生きてほしいと望んだ。

何ヶ月かは彼もそれを守ろうとしたことが遺されたノートから分かる。けれどもその記録は五ヶ月ほどで終わっている。数ヵ月後、二冊めのノートをふたたび書きはじめるが、まばらな記録は半年ほどで途絶えている。「遺されたノート」という文の中ですでに書いたが、未だ私はそれらのノートを隅々まで読めないでいるのだ。会話のなかった時に彼が考えていたことが、そこには書かれているはずである。彼なりの苦悩を文字から知ることは私には痛恨の極みであろう。だが、一部だけ目を通した印象では、読まれることを意識した文になっているようにも感じられる。

苦しみの二年を経て私の心は明るくなりはじめていた。昨夏頃には充分に明るかった。私の方から話しかけることは多くなっていたが、反比例して彼の表情は暗くなり、さらに言葉を発しなくなっていた。その原因は私との関係のことだけでなく、会社での立場における悩みや、また始まっていた浪費のことも含まれていたことは死後に知った。私は会話が無いために、彼の悩みや心の叫びを聞いてやれなかったことを深く後悔している。

私の快復に二年の月日を要させたものは、あの手紙である。それがために私は煩悶した。そこに書かれてあることは彼の本当の気持ちなのであろうかと苦しみつづけた。いつもの「云っただけだ」という言葉のように、「書いただけだ」と云ってほしかったのだが、ついに彼の口からその言葉を聞くことはなかった。言葉の軽いはずの彼がそれを云わないことにかえって私は苦しみ、彼にとって私とは何であったのかと問いつづけているが答えは出ない。

ゆるやかに修復されつつあった私たちの関係であったが、突然に彼は逝き、その内容の信憑性が分からないままに、書かれた言葉だけが遺された。そして今、私はこの手紙をもとにした小説を書きはじめている。それは苦悶の連続である。ノートの方は、この小説を書き終えてから読むつもりでいる。

言葉を文字で遺すことはよいことだと信じていたが、あの手紙さえ読まなければという思いは強い。なぜあんなものを読むハメになってしまったのだろう。それは彼があんなものを書いて遺していたからである。

これに懲りて書いたものを遺すことの是非を改めて考えた。大きな宿題や疑問を誰かに与えるかもしれないと思われる自分の書いたものは、日頃から処分をしておくにかぎると考えているところである。

2005年7月1日 

         
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