私が小説を書くということ

私は常々、小説を書くのに不向きな人間だと思っている。私は大の本好きであるが小説はほとんど読まない。読み始めてもすぐに退屈し、途中で投げ出してしまう。どうしても小説にのめり込めないのである。頑張って最後まで読んだとしても、つまらなかったと読んだことを後悔することの方が多い。そんな私が小説を書いていることは、誠に妙なことである。

そんなようなことであるから、小説との関わりを思い出すには中高生時代に遡らなければならない。当時、私は変わり者であったので、休み時間に女子(!)学生らしく友だちとお喋りなんぞを賑やかに楽しむというよりは、黙々とひとり本を読むのが好きであった。その頃に好んで読んだものは太宰、芥川、漱石、安吾、三島由紀夫、田山花袋、堀辰雄などの小説である。長編よりは中・短編を好み、特に太宰治には没頭し、筑摩書房から出ていた「太宰治全集」を毎月の小遣いで一冊ずつ買い揃えていくのが楽しみであった。外国文学もいくらかは読んだが、文化や言語の異なる文学を翻訳もので読んでも理解しがたかった。しかし演劇に興味があったので、チェホフやテネシー・ウィリアムズにシェイクスピアなどの戯曲は好んで読んだ。

大人になって家事や仕事に追われるようになってからは、小説どころか本そのものから遠ざかってしまった。生徒の数がふえるにつれ、指導に管理、保護者との連絡など、塾の仕事は年じゅう休むひまなくするべきことが山積であった。余暇に読書を楽しむという優雅な生活とは無縁であった。本屋へ行くと問題集や参考書コーナーで教材づくりの参考になるものを探すのみで、文芸書や評論、随筆などの読み物のコーナーへは足を向けることすらしなかった。

そんな私に文学の面白さを思い出させてくれたものがある。それは授業で使う教材に出てくる文章であった。私は英語指導が専門であったが、英語力が予定の水準に達したと思われる時期から国語も教えるようになっていたのだ。国語力がない生徒が多く、見るに見かねて指導を買って出たのである。教え始めれば何とこれが面白い。英語指導より数倍も楽しい。文章読解におさまらず、古文や作文にまで手を広げ、特に作文練習に力を入れた。国語の試験に課される作文は、書けさえすれば確実に点が取れる部分である。生徒たちと共に私も課題の文をいくつも書き、それで私は書く楽しみも思い出したのであった。

高校や大学入試の過去問題の文章は抜粋された部分のみである。論理的文章や文学的文章は、どれもその前後が読みたいという気持ちにさせられる名文であった。長文読解問題として出題された部分だけを読んでも興味を覚え、心を打たれることがよくあった。ぜひとも続きが読みたいと思い、その作家の本を買いに行ったこともあった。こうしてふたたび文章に対する私の思いは再燃したのである。

1996年の発病以後、最後の生徒たちを送り出すまではと、その後の五年間は指導を続け、2001年に、晴れて二十数年間のセンセイ稼業に終止符を打った。辞めると同時に小説を書き始めた。右も左も分からぬまま、約八ヶ月かけて書き上げたものが「透けてゆく人」である。書きながら思ったものだ。小説を書こうという人は小説を読むのも書くのも大好きな人で、それなりに読んできた人たちであろう。私などが書いてもいいものであろうか。この疑問を抱きつつ、愉しく燃えてどうにか完成まで漕ぎつけた。

初作完成から次の五年の間に、私の人生には激しい嵐が訪れたが、嵐が凪になった頃に書くことに戻り、現在までに書いた中長編は合計四作となり、短編も数編を書いた。いつもホームーページで語ってきたように、私は何を書くことも愉しく、小説を書くことも大いに愉しんでいる。昨秋から今年の一月中旬までは連載小説という形では二作を書き上げた。「透けてゆく人」と「天罰」が先にプロット(筋書き)を考えての執筆であったが、後の二編は漠然とした流れしか考えていない段階で書き始め、終わりまで書き進んだ。ホームページでの連載だけでなく、締切り日が近い賞を選んで応募すると決めて負荷を与え、前進あるのみと自身を叱咤して書き進んだ。

連載小説は無事に完成できたことの満足感はあるが、反省する点も多々ある。たとえば枚数にも提出期限にも余裕のある初めの頃は、出てくる言葉を自由に書き綴っていける。だが、一話分のなかでも読者を飽きさせない工夫をすると、書き込みすぎていたずらに枚数がかさんで後で困ることになる。また、記述内容の一致という面でも頭を痛めることがある。後でこちらの方がいいと考えた場合でも、前に書いたことを優先させなければならない。あるいは書く前の大きな柱として是非とも書きたいと挙げていた項目が、枚数の関係で全く書けなくなるか、端折(はしょ)って書かなければならなくなる。これらは素人ゆえのことであろうか。

とはいえ書きながらの連載には利点もある。連載中は心身ともに活力が漲っていることである。読者の皆さんも待ってくださっている、枚数も進む、期限も迫るなど、私は日に日に高揚する。あの high は恐らく drug の比ではない。空腹感すら覚えず、コーヒーばかり飲んでは書き続けるのである。まさに writing high である。小説を書いている間は風邪もひかず、持病も出てこない。それほど私の「気」は充実しているのだ。しかしこの度は無理をしたのか、完成後にメニエールに襲われ苦しんだ。

では、今日の本題である。結論から言うと、冒頭で述べたように私は小説を書くのに不向きなのだ。現在も小説を読む割合は、私の全体の読書量からすれば、ほんの一割くらいではないか。素人ながら、かりにも小説というものを書くのだから、現代の作家たちが書いて認められているものを勉強しなければと買って読めど、少しも面白いと思わない。懐しの純文学なら読み進めて新たな発見もあるのだが、今のものはとんと面白くない。書いている売れっ子作家たちのほとんどが年下であるせいか、感覚が違って共感もできず感動もない。アホらしくさえなる。私は現代小説が好きではないのだろう。

好きではないと言ってしまえば身も蓋もないが、そのくせに小説ネタを考えて構想を練っていると楽しくなるのはなぜか。複雑な筋書きは苦手であるが、考えるのは楽しい。評論や随筆やドキュメンタリーばかり好んで読む私が、小説を読まないのに小説を書きたいのはなぜであろう。うむ。答えは難しいが、ぼんやりと分かる。好む小説も古いように、今や私は古い方の人間となり、主張する考えも使う言葉も、私独自の文体があるとすれば、それも著しく古いものなのであろう。その古い文体で、古い人間や古くさいことを、ボソボソと書くのは好きなのだ。言い換えれば、いつの時代にも変えてはならないこと、忘れてはならないことだけを小説に書き表したいと思っているのかもしれない。

ところが新人賞のキャッチフレーズには、かならず「今を書く」とか「斬新な」とか「奇想天外な」という言葉がある。そんなものは書けない。書きたいとも思わない。したがって私という素人が書くものは、現代の新人賞とは対極に位置するものであろう。にもかかわらず新人賞にときどき応募してみる理由は、一等賞の気分を一度だけ味わってみたいという単純な理由からである。賞金も名声も私には不要である。そんなものに全く興味がない。古くさくも自分の書いたものが、いつか一等賞をとれば嬉しいだろうと思うだけである。書く私を支えてくれる人たちを喜ばせることができれば、それは私の最上の喜びであろうから。

けれども私には考えていることがある。趣味で一生、面白おかしく書くことを愉しむのもよいが、もっと人のためになることをするべきではないか。人のために、病弱な私にも何か出来ることはあるはずだ。これだと思うことが見つかれば、私はすぐにも創作の筆を折ることを厭わない。できれば書くことを通して、切実な孤独を抱えて暮らす人々を慰めたり、温めるようなことがしたい。素人ながら書くパワーを与えられているとすれば、それは「虚」の世界での創作ではなく、「実」の世界で活かすべきではないか。創作は快楽である。溺れると身を滅ぼすほどの快楽ではある。しかし、そうそう快楽ばかり貪ってもおられない。人生はさほど長くはない。弱い立場の人のために何かしたい。私に何ができるのだろうか。近頃そんなことばかり考えている。

今年は暖冬で雪が降らない。植えた桜の苗木には好都合だ。この木が成長して花を咲かせるのは何年先のことだろう。そのとき私は何をしているのだろうか。細い細い桜を見ながら、ふと考えた。

2007年1月31日 

         
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