葉 桜
     
 葉桜になった。ついこのあいだ、こぼれるほど花をつけていた木々は雨に打たれ、風に吹かれ、枝にほとんど花がない。
 葉桜には色づいた楓のように紅く見える木が多い。それは、残ったおしべやめしべと、出てきたばかりの葉の色である。木の全体が紅っぽくなったところどころに、まだ咲いている花の白さが際立っている。
 種類によるのか葉桜の葉の色は、木によって異なっている。黄緑色の若葉だけを茂らせているものもあれば、両方の色の葉が混じりあったものもある。それぞれの木は満開のとき個性があるように、葉桜になっても一本一本の表情があるものだ。
 それら葉桜は、なごりの花がつく部位も異なり興味深い。太い枝から生えたばかりの細い枝が、三ツ四ツと花をつけて垂れ下がる。剪定のときには、容赦なく切り落とされてしまう小枝である。あるいは木の根元近くに、こんもりと手鞠のように花を咲かせているものもある。桜を見物するのには、見上げるばかりではなく足許にも目をやらなければならない。
 人びとは桜が満開になるのを待って繰りだし、美しさに目を細めては嘆息する。今を盛りと咲き誇る姿に酔い、ときにはその下で狂態を演じもする。しかし、花ちらしの風雨に晒されたあとの葉桜には、目もくれずに足早に通り過ぎてゆく。尤も桜の方も、人間のそんな動きには一向に頓着をしていない。
 葉桜を見ていると、いちどに咲いて潔く散るという桜の通念には首をかしげたくなる。大かたの花が散り、人びとに見むきもされなくなった桜の木は、尚も咲くことに執着している。若葉が風にそよいでも、ひそかに咲いては散ることをやめてはいない。それは躯じゅうのすみずみまで、咲こうとする花を咲かせ尽くし、春を終えようとするかのようである。
 人間のためにではなく、桜は、桜自身のために咲き切るのだ。

2004,4.13

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