季節の数

 今は五月、初夏である。四季のなかで、この月は春に分類されるのだろうか。それとも夏の初めという字のとおり、季節は夏に入っているのだろうか。十二ヶ月を四等分して四季を充てはめようとすることには、少なからず無理がある。暦の上での立春や立秋も、実際の春や秋のはじまりと一致しない。季節は定められた枠のなかには収まりきらず、重なりあいつつ巡っている。五月は春と夏の狭間の季節、リレーならば選手が入れ替る地点であろうか。
 ある外国人留学生が、日本には四つではなく、もっと多くの季節があるように感じると語っていた。その意見には同感である。春夏秋冬には、それぞれ〈初〉と〈晩〉の文字がつけられる。それだけでも八つの季節が存在し、四と八で十二になる。さらに梅雨をひとつの季節と分類すれば、併せて十三もの数になる。どおりで衣類や住居に関するこまごまとしたことに、年じゅう忙しいわけである。
 ところが、その忙しさは私たちの日常生活にめりはりをつける働きをしているのだ。初夏の今、私は先日まで着ていたセーターをしまい、入れ替りに涼しげな夏服を出してくる。着ているのは春物の服である。ストーブと交替で扇風機を登場させ、スリッパやマット類も夏のものに変えなければ暑くるしい。近づく梅雨にそなえては、カビ対策も講じなければならない。これらの雑事は季節を感じさせてくれる忙しさである。
 このように、初夏といっても冬、春、夏と三つの季節が関わりあい、季節はひとつに収まらない。一年というリレーコースを小刻みなバトンタッチをくり返し、選手たちは止まることなく廻っている。季節が運ぶ天気の話題は挨拶代りに年じゅう口にされるが、挨拶の種類は多いほどよい。
 予報では梅雨の前に「走り梅雨」が訪れるとか。これも数に入れると十四になる。季節の数は、まだ増えそうだ。せいぜい愉しみたいものだ。
2004,5.13

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