教え子からの手紙

 喪中ハガキを出して一週間後、教え子のMから手紙が届いた。宛名の懐しい文字に、つい頬がゆるんだ。
 封筒をあけて読みはじめると、ハガキを受け取り驚いたことから始まり、電話やメールでは気が引けるのでと前置きの文が続く。ずいぶん大人になったものだと感心し、大学四回生、22歳になったMの成長ぶりを嬉しく思った。読み進むにつれ、彼女が綴った手紙の文字が、私の心に沁みわたった。

「   ―― 中略 ――
 私が母を亡くした時、一番の支えになってくれた人、それは先生でした。先生の言葉に支えられ、前向きに考えることができました。先生は私に、人の死ほど大きく残酷なことはないとおっしゃっていました。突然、その現実に直面した先生の苦悩は測り知れません。ホームページでの詩を読ませて頂きました。胸が苦しく、とても痛く、少しでもいいから私は先生の生きる力になりたいと思いました。    ―― 後略 ――   」

 その先は涙で読めなくなった。懐しさと、彼女のやさしさと、過ぎし日の“先生”であった頃の輝いていた自分と、何もかもが混じりあい、堰を切ったように号泣した。
 彼女は中学二年生の時、病気や事故でなく、最も理不尽なかたちで母親の命を奪われた。もちろん学校や近辺は騒然となり、その衝撃的なできごとは噂となって広まった。私は彼女やご家族が好奇の目に晒されることに心を痛めた。しかし彼女は強く、葬儀を終えるとすぐに登校した。感じやすい思春期にある少女のことだ。私であれば不登校になったかもしれない。誰とも会わず、家の中に篭っていたかもしれない。彼女の逞しさに大人の私は頭が下がった。
 葬儀で痛々しく見えた彼女に、私は「待ってるからね」と耳元で囁いた。彼女はすぐに塾にも顔を見せた。皆が温く、何もなかったように自然に迎え、表向きには私も彼女を特別扱いすることはなかった。しかし、私は彼女に対して何ができるのかを考えた。彼女と会うのは週二回、大部分の時間をどんな思いで過しているのかと考えると胸が張り裂けそうだった。言葉だ。面と向かっては言えないことも、書いてなら伝えられる。それからすぐに交換ノートを作り、勉強に来る日には渡しあうということを始めた。
 彼女と私はノートの中で会話を重ねた。お母さんに対する彼女の気持が綴られると、涙を禁じえなかった。中学三年の受験期には、母親代わりとして彼女とともに進路についての個人懇談にも行った。彼女は望んだ女子高へ入学し、高校の三年間も私の許で学んだ。念願の四年制大学にも合格した。その彼女が今度は私の力になりたいと申し出てくれたのだ。
 たしかに私は強く厳しく、頼れる先生であったと思う。私の健全な部分を彼女は記憶してくれていた。大学生になった彼女と食事をしたとき私に言った。「ほんとうに、先生が支えでしたよ」と。だが、振り返って思う。私はあの時、まだ彼女の痛みを完全には理解できていなかったのではないか。たった十四年間しか一緒に居られなかった大好きなお母さんを失った悲しみを、今の方がもっとわかり、悲しみを分かちあうことができるのだと思う。
 彼女はさっそく私を励ます集まりを計画中のようだ。誰にも会いたくない私が、教え子たちにだけは会いたいと思うのは不思議である。きっと彼らは慰めなど言わず、ただ再会を喜び、近況報告や楽しい話を聞かせてくれることだろう。
 彼女はかぎりなく明るく、やさしい女性に成長した。悲しみを味わうほどに、やさしくなれる、悲しみはいつか和らぐ。それを彼女は私に教えている。負うた子に教えられるとはこのことだ。人を育てるという仕事をしていてよかったと思うのは、こんなときである。

2004,12.10

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