誕生日に思うこと

 今年も誕生日がやってきた。
 これが還暦や古稀、喜寿、米寿などであれば格別の思いもあるのだろうが、人生なかばのミドルエイジに感慨深さは特にない。しかし、七月二十五日がくると思い出すことがある。それは母がよく口にしていた事柄だ。
 すでに五歳、三歳、二歳の三人の子持ちで母は私を妊娠した。家事や子育てに大わらわのうえ家業にも忙しく、臨月といえど休む暇なく働きづめだった。尤も昔の女性たちは逞しく、そんなことは当たり前のことだったそうだ。
 その日も大きな腹で立ち働いていると陣痛がきた。すわ産まれるのだと思い産婆さんに連絡をし、布団を敷いて横になった。けれども陣痛の間隔が縮まらず気配がない。それなら寝ていても仕方がない、起きて用事をしようとしたら駆けつけた産婆さんに制止され、腿に一本の注射を打たれた。すると急に産気づき、アッというまに私が産まれたのだという。
 無事に産まれたので起きて働こうとしたが、今日だけは寝ていろと産婆さんに云われ、仕方なくその日は床についていた。だが、翌日には起き出し、いつもと変わらず働いていたとのことだった。私はお産のときから手のかからない子で、そのときから親孝行だったと、毎年この話をくり返すのだった。
 生まれ方など私の知ったことではない。そんなことを誉められても、いっこうにピンとこなかった。しかし、これにはじまり母は私をいつでも誉めた。母にひどく叱られたという記憶がない。そんな誉め上手な母の育て方が私に積極性を身につけさせてくれたのだということは、大人になってから気づいたことだ。
 今は語ることも笑うこともしない病床の母から、その話を聞くことはなくなった。だが、この日には痛感する。母がいなければ私はこの世にいなかったのだ。私にとって誕生日は、母に深く感謝する日である。母を想う日である。

2004,7.25

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